そういうあれじゃない

ナチュラル鬱で息もたえだえ

『グラン・ヴァカンス』感想文

弟の読書感想文の題材として飛 浩隆著『グラン・ヴァカンス』を貸した罪に問われたので書いた。感想というより思想の表明のようになった。悪用禁止。

 

 

 この本を読んだ多くの人の印象に残るのはおそらく、AIたちが受ける苛烈な蛮行のシーンだろう。彼らAIは人間ではなく、そのために人間たちゲストから虐待を受け続けてきた。自身の領域を侵され尊厳を無視される行為だ。ではなぜ、ゲストが訪れなくなった今、このようなことがなされるのか? それは読者に読者とキャラクターの差を問うためである。

 AIは仮想リゾートのなかでそれぞれの日常を過ごしている。朝起きて顔を洗い、食事をし、自然の機微を楽しむ。狭い町がイメージされた舞台なので、AIたちは皆顔見知りだ。おしゃべりをしたり、チェスの腕を競ったりする。日々の仕事をする、料理をする、恋をする。喜び、怒り、哀しみ、笑う。痛みを感じる。人間との差は何だろう。わたしは読みながら彼らの感情を確かに感じた。彼らが痛めつけられるのを悲しく思った。読み終えたあとしばらくなにも手につかなかった。

 ゲストにどのような仕打ちを受けるのか予測されながらAIは作られた。このようなサービスは“売れる”からだ。ゲストはそれを楽しむため仮想リゾートへ赴く。それはゲームのなかで刃物を振り回すような行為だろう。キャラクターによる自己提示では飽き足らず、無理やり自己開示させるような。

 これほどの蛮行が描かれておりながら、わたしはこれに倫理を感じる。非倫理的であることを自覚されながら書かれているからだ。これを目撃したとき、あなたはどう思うのか、と。

 物語を読むとき、我々はそれをフィクションだと知りながら読む。キャラクターは実在せず、物事は現実には起こっていない。しかし我々は数多の物語に魅了され心を動かされる。物語と現実は相互に作用するのだ。

 物語をひとつの世界として受け止めるのか。娯楽として消費するのか。このようなことを考えるきっかけとなった一冊だ。これから歩み続けるためのしるべの星になってくれたら嬉しい。

 さて、この本は全部で494ページある。これだけ多くの言葉で描写されておりながら、そのどれひとつとして外すことができないと感じる。言葉が持つイメージが結び付き、情景以上のものまで伝わってくるようだ。ただ解像度が高いだけでない、絵画よりも真に迫った表現に恐れ入る。「もっとだ」で勘弁してくれってなったもん。続編も執筆されていくようだ。期待したい。